きものファンに根強い人気がある「紬」。たくさんの種類があり、その多くは伝統工芸品の扱いを受けています。もともと紬は、養蚕農家の人達が、出荷できない 玉繭や屑繭をより分けて、家族の為に手作りで織り上げたものです。今回はそんな紬のお話しです。
紬のはじまり
紬の発祥の地はいったいどこなんでしょう。
一説によると、沖縄県那覇市から西へ94km、東シナ海に浮かぶ久米島といわれています。15世紀後半、伝説上の人物とされる「堂之比屋(どうのひや)」という人物が、中国から養蚕技術を持ち帰り、久米島紬が生まれました。その技法が、沖縄本島、奄美大島を経て本土に伝わり、やがて全国にその技法が広まったとされています。
自家用織物としての紬
養蚕が全国に広まり、産業としての役割を担ってくると、養蚕は農家の人達にとって大切な収入源となりました。しかし蚕は生き物ですから、時として規格外のものが生まれます。繭の中に2匹入ってしまった玉繭といわれるもの。 また、蚕が糸を作る途中で断念して、未完成で終わったもの。これらは、正規のルートで出荷することができず、屑繭と呼ばれました。
農家の人達はこれらを大切にとっておき、忙しい仕事の合間を縫って、糸を紡ぎ、ひとつひとつ手作業によって織り上げました。それらは、あくまで家族用として作られました。各地域によって、極端にいうと家々によって、糸の紡ぎ方や染め方、織り方などに工夫が凝らされ、それぞれの特徴があったよ
自家用織物から伝統工芸品へ
紬は糸を手で紡ぐため、太さが一定でなく、ところどころ糸の継ぎ目に節が出ます。 地方によっては、繭を節約する為にぜんまいの綿毛を織り込んだものや、和紙を織り込んだものもあります。でもそれが逆に素朴な風合いになり、また軽くて長持ちするため、次第にその価値が認められるようになりました。江戸後期に入ると、今度は町人階級にも好まれるようになり、人気が出てきたことに目をつけた各藩は、その地方の特色を生かした紬を保護・奨励するようになったのです。
地方の特産品として発展した紬は、その後、その製作に携わる者のたゆまぬ努力と情熱によって、ますますその個性を発揮し、伝統工芸品あるいは重要無形文化財として認められるようになりました。最も代表的な例を挙げると、奄美大島においての「大島紬」、茨城県結城市を中心に発展した「結城紬」があります。
現在の紬の状況
通常紬は、産地の名前を付けて「○○紬」と呼ばれます。かつて全国には、その地方の特色を生かした個性ある紬がたくさんありました。その数は今となっては正確にはわかりませんが、相当な数であったといわれています。全国的に有名な産地でも、生産数が激減し、また後継者不足に悩んでいるのが実情です。紬は、非常に手間と技術が必要なものが多く、一人前になるのに何年もかかる場合も少なくありません。逆にいえば、その手間と技術、また量産のできない希少性が魅力でもあるわけですが。
「普段着」から「おしゃれ着」へ
今まで紬は「普段着」といわれてきました。普段着だから正式な場所には着られない。普段着として着物は着ないから。そんな声も聞こえます。最近の紬の傾向を見ると、そういった声を反映してか、絵羽付けの染め加工をして、訪問着として着ることのできる紬が増えています。披露宴においてでさえ、紬系の訪問着姿を見るようになってきました。 もしかしたら、日本の伝統文化である着物の世界にも、しきたりや、決まり事についても見直す時期にきているのかもしれません。もちろん基本はキチンと押さえる必要はありますが、「着物を着ること自体がフォーマル」になりつつある今、「普段着」ではなく「おしゃれ着」として紬をとらえる時代になってきていると思うのですが、いかがでしょうか?
もっと気軽に紬を楽しもう!
世界一緻密な織物といわれる大島紬。真綿のぬくもりがうれしい結城紬。くぎ抜き紬の異名を持つ牛首紬。独特なシャリ感を持つ塩沢紬…。数え上げればきりがありませんが、それぞれがみな伝統に裏打ちされた、技術とセンスを持っています。 結婚式や披露宴などの席ではなくても、紬だったら、家族や友人同士のちょっとした集まりにも、肩肘はらず気軽に着ることができます。気軽にといっても着物を着るとなったら、いろいろ準備は大変かもしれませんが、それでも思い切って着てみると、いつもと違う「ほんの少し改まった、うれしい気分」になれること間違いなしです。 ちょっとした「ハレの日」の演出として、どうぞお試し下さい。
日本紬織物フェスティバル
毎年5月に、日本紬織物文化協会主催の「紬織物フェスティバル」が行われます。全国各地の織元さんが勢ぞろいし、織りや染めの実演を見ることができます。普段お店で見られないような希少な商品も見ることができる貴重な機会です。その独特な風合いに触れながら、長く着ることができる紬の魅力を体感してください。